僕はプロのミュージシャンというかバンドマンを目指していたわけですが、その夢はかないませんでした。
「なぜ?」と理由を問われれば、くやしいですが一言で終わってしまうでしょう。
「才能がなかったから」
まあ、それではあまりにあっけないので、もう少し掘り下げて考えてみたいと思います。
僕と音楽
小学生のときはC-C-Bにあこがれ、中学生のときはマイケル・ジャクソンとジョージ・マイケルとビートルズで完全に音楽に目覚め、高校では文化祭で演奏するためにコピーバンドを組みバンドデビュー。
大学ではオリジナルの楽曲をやるバンドを組み、都内のライブハウスに出るようになりました。
当時は下北沢にあるシェルターというライブハウスによく出演していました。
その後、レコード会社に送ったデモテープがきっかけで、インディーズレーベルよりシングルとアルバムをリリースすることになります。
僕がプロになれなかった(と思われる)3つの理由
仮にこの3つができたからといって必ずしもプロになれたり、売れたりするわけではないでしょう。
ただ、この3つをもう少し意識していたら、もしかしたら違う次元の学びというか経験を積めたかも知れないなーと思ったりするわけです。
1度きりのチャンスを逃した
チャンスは案外やってくるものです。
ただし、そう何度もはきません。
そして、チャンスのあとには越えるべき壁が立ちはだかります。
大学時代の僕のバンドにとってのチャンスはインディーズデビューで、壁はそのCDが売れなかった(さほど話題にならなかった)ことでしょうか。
ライブのお客さんもあまり増えない、CDの完成度に不満を持っていた等々で、せっかくCDを出したにもかかわらず、バンド内の雰囲気は最悪。
CDリリースでいただいたギャラ(50万円もらいました。当時の僕たちからしたら大金です!)でレコーディングして自主制作のカセットテープをつくるなど、バンドの立て直しをはかりましたが、結局は大学卒業を前に解散してしまいました。
壁を乗り越えられなかったわけです。
今、当時の自分にアドバイスするならば、「どんな手段を使ってもその壁は乗り越えてみた方がいい」と言うでしょう。
知ってもらう努力を怠った
営業力、これは断然足りなかった。
まあ、人見知りで、バンドのメンバー以外、バンド・音楽関係の友達はほとんどいませんでした。
若さゆえなのか、斜に構え過ぎてたところがありました。
鳴り物入りでデビューできるような華や資質や血統があるわけではない僕たちは、知ってもらう努力を惜しんではいけなかったのです。
お金をもらうことに抵抗があった
例えば、ライブのチケット。
最後の方はお客さんから正規の料金をいただいていましたが、最初はお金をとることに抵抗がありました。
下手クソでしたし、自信もなかったのでしょう。
(あとライブハウスのシステムに対してちょっと不信感みたいなものも、「抵抗感」の原因の一部としてありました)
レーベルからのギャラは「親からの仕送り」や「座ってればもらえる給料」みたいにすんなりもらえるのですが、お客さんからもらうチケット代は少し生々しく感じたものです。
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「お金のために音楽をやる」という考えにも抵抗がありました。
「好きな音楽をやって、結果お金をもらえたら・・・」という、甘い甘いお坊ちゃま的な考えで活動していました。
ジョンとかポールならそれでもいいのかも知れませんが・・・いやいや、彼らは相当な野心家だったはずです。
芸術的に天才でなおかつ野心家でなければ、自分の生きている間においての大成功は難しいでしょう。
ちなみに、僕は音楽に少しでも関係のある仕事をしたいとも思いませんでした。結局ご覧の通り、今は税理士になっています。
夢はかなわない
冒頭で、「夢はかないませんでした」と書きましたが、これは夢をあきらめたからこそ言えるセリフです。
僕は夢をあきらめたのか?
というより、「音楽で食う」ということは、そもそも僕の夢ではなかった。
僕はただ、キャーキャー言われたかっただけなのです。
あ、やっぱり僕の夢は一生かなわないようです・・・
【サンプラザ前川くんのつぶやき】
その後に組んだバンドでもちょいちょいチャンスみたいなものはあって、当然全部ものにはできなかったわけですが、「動いたお金の規模」という点からすると、この大学時代のバンドが一番大きなチャンスだったのかなと。
そういえば、一度だけ印税ももらいました。
確か2〜3万円だったと思います。預金口座に振り込まれていました。
【1日1新】
コカ・コーラ フローズン
西武園競輪場
ルパンレンジャーVSパトレンジャー ショー
XMind ZEN
税理士、東京。自由、DIY、シンプル。音楽と地下鉄。
独立・起業・スモールビジネス、ベッドルームから始めよう。
「ちゃんとする」で「いい感じ」を「もっといい感じ」にする税理士事務所をやっています。